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【英語あれこれ】戦争で英語の使用は黒穴(ブラックホール)へ

今回は、時代をグッとさかのぼって1940年代、第二次世界大戦中の日本の英語事情について紹介します。

第二次世界大戦後、日本では英語を「敵国の言語」として敵視する「反英語」の熱が異常なほどに高まっていた。公衆の面前で洋書を読めば眉をひそめられ、罵声すら飛ぶ。タバコの銘柄「チェリー」は、「桜」と改名し、野球の「ストライク!」は、「善し!」と言い換える徹底ぶりである。プロ野球界は、当局に試合禁止を通達されることを恐れ、すすんで横文字表現を自粛した、と大妻女子大学クマベ教授は言う。戦時中、外来語は既にカタカナ表記で多少使われていたが、やがて国民の生活から英語は抹消された。英語使用が正式に禁止されたわけではない。恐怖・疑念・怒りの火種だったから、である。

「この反英語の風潮は、右翼の報道に因るところが大きい」というのは玉川大学イムラ教授。一方、これは軍が喚起、煽動したものだ、との声もある。神奈川大学デキ教授は、「旧日本軍が大衆の反米感情を煽ろうとしたのは明らかである。」と語る。政府は、外国語の使用は国民の愛国心を希薄にし、思想を西洋化させるものと危惧していたのである。

ただし、これは決して第二次大戦の産物ではない。戦前から西洋化への懸念はあり、英語教育の是否は明治時代末期より幾度となく論争の的となっていた。しかし結局は、廃止どころか英語教育は大変重要視され、実際1944年の中等教育初年度、全授業数の2割を英語が占めていたという。

しかしながら、戦争が激化するにつれ、英語の授業は激減、教科書は国家主義の色彩を濃くし、欧米の慣習に触れる表現は削除されていった。当時、全面教育を提供できていたのはおそらく士官学校だけだったのではないだろうか。実際、広島県呉市江田島の海軍兵学校は英語を含め、外国語教育の集中的指導で知られていた。

1945年、日本は敗戦国となり、アメリカ人の話す流暢な日本語に驚愕することになる。英語学者オオムラ氏はこう語る。戦後、米軍が初めて日本政府と交渉した日、米軍将校らは、誰が最高司令官で誰が参謀なのか、更に降伏調印式についてまで、同氏曰く、「高水準の日本語」で矢継ぎ早やに質問を浴びせかけたという。

もうひとつ。1942年2月、太平洋戦争勃発直後、米国カリフォルニア州バークリーの海軍語学学校では、一日4時間ずつ週6日、日本語を教え込まれた、と当時の生徒(現日本研究家)キーン氏は著書の中に記している。日本の敗戦で、軍事力のみならず、語学教育の分野でも打ち負かされていた、というのがオオムラ氏には何より衝撃的だったようだ。

「英語」と聞いて「アメリカ人」を連想してしまいがちな私たち。その背景には、こんな英語事情があったんですね。戦争を知らない世代の私たちでさえ、「英語=アメリカ」の誤った認識を払拭しきれていないという事実は、マスコミの影響力、その恐ろしさを物語ってはいないでしょうか。それにしても、排他的な日本、合理的な米国。語学学習を通して、国民性・文化の違いが浮き彫りになっていましたね。「言語」というものをどう捉えているか…ほぼ単一言語を有する日本で育つと、考える機会も少ないでしょう。意志疎通を図る手段の一つとして、やはり英語習得は非常に有益。英語は世界の共通語ですから。
 

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